
医師という仕事は、その道を志して勉学に励み、人一倍の努力を重ね、目標に向かって一直線に進んでいくのが常だ。だが歯科医・森 英雄さんの歩みは少し異なっている。彼が辿ったのは、米国の過酷なデザートラリーに挑み、“フライング・デンティスト”と呼ばれた日々を経て、再び日常へと戻るという道のりだった。その物語が詰まったガレージに伺った。
文/写真・小松 男

1.ガレージドアブランドの金剛産業がパテントを取得し製造していた「ルート66」のドアが目を惹く。 2.ビルトインガレージ内には3台のハーレーと学生時代から所有しているというベスパが収められている。 3.ポルシェ911から乗り換えたフェラーリF355は、高騰する前に手に入れることができたそう。 4.チェッカーパターンがあしらわれたフロアはガレージの雰囲気を引き立てている。 5.アバルト695で頻繁にサーキット走行を楽しんでいる。
アメリカンガレージに込められた意味
ガレージの主である森 英雄さんと出会ったきっかけは、ハーレーダビッドソンのオーナーだったことがご縁で、十年近く前に共通の知人を介してガレージのあるお宅を訪問したことに遡る。
当時、森さんのガレージに収まっていたポルシェ911にも興味を惹かれたが、バイク乗りとしての経歴を聞くと、16歳で免許を取得してからエンデューロレースにどっぷりはまり、その後単身渡米、彼の地のラリーで活躍されていたという話に、「これは只者ではない」と感じた。
そこで今回、ガレージのある生活を取材させていただきつつ、あらためて森さんが歩んできた物語を綴りたいと強く思い、お時間をいただいた次第である。
ガレージ兼住まいがあるのは東京都世田谷区、森さんが営んでいるクリニックから一駅離れた住宅街に位置している。
「以前もこの近くに住んでいたのですが、クリニックを開業し、そろそろ落ち着こうと家を建てることを考えるようになりました。クルマもバイクも好きで何台か所有していたこともあり、ビルトインガレージは必須と考えていました」と森さん。
ガレージには「ルート66」のロードサインがあしらわれたガレージドアが設置され、それが開くとフェラーリF355が姿を現した。以前の愛車は911だったが、よい話が舞い込んできたので乗り換えたということだ。
F355の奥にはノーマルでコンディションのよさそうなショベルヘッドのハーレーと、フルビルドされたカスタムショベル、そのほか数台のバイクが収められていた。
チェッカーパターンが用いられたフロアや先のガレージドアなどからアメリカンスタイルで纏められていることが伝わってくる。
「もともとハーレーにあまり興味はなかったのです。高校時代に二輪免許を取得し、大学入学後はオフロードにのめり込み、「キャンオフ(キャンパスオフロードミーティング)」で優勝した後に渡米。アメリカではエンデューロ大会を中心に参戦し、ネバダラリーでは表彰台にも上がらせてもらいました。いわゆるクルーザーモデルであるハーレーとは縁遠かったのですが、実際に乗ってみると独特の味わいがあり、楽しくて、すっかり魅了されてしまいました」と森さんは笑う。

6.1994年のネバダラリーで250cc2ストローククラスにおいて3位という好成績を収めた。 7.ラリーの出発地点。朝もやに包まれながらスタートするこのカットは森さんのお気に入り。 8.渡米中にトロイ・リー・デザインに描いてもらったヘルメット。レース時の愛称、“FLYNG DENTIST”と描かれている。9.前年の戦績から1995年のネバダラリーの公式パンフレットで紹介されている。 10.ガレージの奥にはカワサキKDX220が。今もオフロードの腕前はかなりのものだ。 11.キャンオフはタッグ戦で相棒はオーストラリアの地に渡りラリーに参戦していたそうだが、現在はバイクを下りているとのこと。
レースと歯科医、二つの道
筆者には医師、歯科医師の知り合いがいるが、多くは医学部に通い、卒業後、医院に身を置き、その後自身のクリニックを開業したという道を辿られている。だが森さんの話を聞くと、次々とバイクの話題ばかりが飛び出してくるではないか。そのような青春時代を経て、なぜ歯科医師になったのだろう? 気になった私はもう少し深く伺ってみることにした。
「高校生の頃は弁護士になりたいと考えていたのですが、当時付き合っていた彼女の兄と仲が良く、そのお兄さんが歯科大に通っていたことから、お前も入れと勧められたことがきっかけでした。ダメもとで受験したところ、歯科大に受かり、新潟校に通うことになりました」
大学は日本海の砂浜近くにあり、その砂地でバイクを走らせるのが練習になったのではないか、と森さんは振り返る。そして信頼できる師匠のもとでダート走行の練習を行い、キャンオフで優勝という結果を得る。
「まだまだ未熟ではあると思いましたが、世界への扉が開かれたと感じて、アメリカに渡ったんです。行ったり来たりしながら足かけ3年程アメリカのレースにチャレンジしました。バハ1000なども出走しましたし、それなりの成績を収めることができたレースもあります」
しかしレースに打ち込むなか、あるときチームメートが事故で帰らぬ人となってしまう。「どこか気持ちが萎えてしまった」という森さんは帰国し、大学院へと復学した。
帰国後、一般の歯科医とは異なる新たな道を求め医学部の大学院に入学。千葉大学の集中・救急治療部に所属しICU、ERで研鑽を積みその後、手伝っていた歯科から独立開業へと至っている。
16歳でバイクに乗り始めてから、紆余曲折歩んできた道のりの先に、森さんのガレージは存在しているのである。

Hideo Mori
日本歯科大学を卒業後、渡米を繰り返しながら院生時代を過ごしたという森さん。現在は東京・世田谷区「ラグナデンタルクリニック」の院長を務める。