
鈴木正文が考える、いまこそ乗りたい一台の自動車。雑誌『NAVI』、『ENGINE』、『GQ JAPAN』編集長をつとめ、数千台におよぶ国内外の自動車をドライブしてきた鈴木正文が、「いま乗りたいクルマ」について考えた。
文・鈴木正文 写真・安井宏充
便利機能を付加しないという思想の正しさ
7月某日、河西啓介編集長からLINEで、メッセージが届いた。
それは、「いま、クルマを取り巻く環境は大きく変わりつつあります。果たして自動車はすべてEV(電気自動車)へと置き換わるのか?内燃機関を積んだクルマという選択肢も生き残っていくのか。“運転を楽しむ”スポーツカーは過去のものとなり、自動運転で人を運ぶピープルムーバーへと収斂されていくのでしょうか」と切り出したのち、「そんな曲がり角にあるいまだから、『AUTO MATE』では『人生いちどは乗りたいクルマ』について考えてみます。憧れのクルマ、気になるクルマ、いま乗らないと乗れなくなってしまう(かもしれない)クルマ……」とつづいた。そして、僕にも「人生いちどは乗りたいクルマ」を訊きたいので取材に応じてほしいという。
返事はむろん「イエス」だった。そして、河西編集長への返信のさい、読者にすすめたい「人生いちどは乗りたいクルマ」の候補に、スーパーセヴン、中古のモーガン、BMW傘下になるまえのミニ(MINI)などの車名を挙げ、現行車ならマツダ・ロードスターがいい、とつけくわえた。


取材当日、果たして編集部は、4代目ロードスターの現行ラインナップ中もっともシンプルなグレードのソフトトップをもつ「S」の広報車を、撮影と神宮外苑周辺での短時間のお試しドライヴ用に用意してくれた。深紅のボディにベージュのキャンヴァストップ付きで、幌は運転席に座ったまま片手で、至極かんたんに開閉できる。電動開閉システムを搭載すれば車重が重くなるだけから手動のほうがいいし、だいいち余分な便利機能を付加しないという思想が根本的に正しい。
正しいのはそれにとどまらない。
2015年発表の現行「ND」型に搭載される1.5リッター直列4気筒DOHC16バルブの自然吸気エンジンは、マイナーチェンジを受けた2024年モデルからは4馬力の出力アップをほどこされて136ps/7000rpmをうたうにいたったけれど、それでも旧型の3代目(2005年‐2015年)の2リッター・ユニットの170ps/6700rpmにくらべれば大幅な出力ダウンだ。また、3代目の車重は最軽量モデルで1090kgであったのにたいし4代目は工夫をこらして1010kgにまで軽量化されている。自動車の歴史は、モデルチェンジごとに繰り返される高出力化・高速化・大型化の歴史であり、それが「進化」の意味だった。とりわけスポーツカーであれば、「進化」とは、うたがいもなく高出力化、高速化が第一義だった。ところがマツダは、4代目のロードスターにおいて、「より速く」ではなく、「より遅く」したのである。ボディ・サイズも旧型の全長が4メートル超えであったのが3.915メートルとなり、車幅こそプラス15mmの1735mmに拡大したとはいえ、全高は1245mmから1235mmへと10mmも低くなった。遅速化し、小型化したのだ。


退屈な速度主義への勇気ある反抗
すなわち、現行ロードスターのありようは、従来のモデルチェンジ概念を揺るがし、スポーツカーにおける「進化」の真実はどこにあるのか、という根源的な問いを投げかけた。スポーツカーの栄誉が速度競争における勝利者にのみ与えられるという退屈な速度主義への、それは勇気ある孤独な反抗であった。そのようなものとして、それはロックなクルマである、と僕はおもう。
2021年7月23日に始まった「東京2020」オリンピック時にさかんに口の端にのぼった「より速く、より高く、より強く」という標語に触れて、故・坂本龍一さんは、ガンとの闘病のまっただなかにあった同年7月31日の日記に、「より高く、より速くという競い合いに熱狂するというのは、優生思想に極めて近い。そうでない社会を目指したい」と書きつけている(坂本龍一著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社)。
自動車のみならず、資本の回転(したがって生産・流通そして消費の経済活動全般)は、高速化の競い合いに狂奔して「進化」をとげ、挙げ句に、こんにち環境危機を気候危機として現出させ、内燃機関によって駆動される自動車の落日を招きよせた。内燃機関の自動車はいずれ表舞台から姿を消さざるをえなくされるであろう。現行のマツダ・ロードスターは、そんななかで、孤独に、スポーツカーの反逆のロックン・ロール魂をみせつけた。
かつて、自動車が真昼の太陽のようにまぶしくかがやいた時代があった。ロードスターは、内燃機関つき自動車の時代の黄昏時に、まぶしいというよりもうつくしい一条のかがやきを投げている。いまこそ乗りたいクルマではないだろうか。

Masafumi Suzuki
1949年生まれ。東京都出身。自動車雑誌『NAVI』、『ENGINE』編集長を経て、2012年から10年にわたりライフスタイル誌『GQ JAPAN』編集長をつとめる。現在はフリーランスジャーナリスト/編集者として活動するほかテレビ、ラジオへの出演なども行う。